Tuesday, 5 August 2025

Coffee shop named California 2015

 


Coffee shop named California

TANAKA Akio


From Print 2012, Chapter 10

Original text is the next.
https://sekinanzoho.weebly.com/82038203coffee-shop-named-california.html

If C live, he also may ask me, "What are you researching now?"
And I also will answer him as same as ever.
I have pursued universals, never done facts, without repenting.

Oh C, if you live, will we also talk on language at the table facing each other
under the low ceiling of the shop, going up the steep stairs.
The name of the shop is California.

For the memory of our daily forgetful life, its never miserable though poor all over,
I will write down our delight.

Source: Tale / Print by LI Kohr / 27 January 2012

References:
Under the Dim Light / 1 August 2012
Road to Language Universals / 31 December 2012
Half Farewell to Sergej Karcevskij and the Linguistic Circle of Prague with References / 23 October 2013

Tokyo
23 February 2015
SIL

Monday, 4 August 2025

Language Why you keep on pursuing language? 2018

2018

Language
Why you keep on pursuing  language?

2018年
言語
あなたはどうして言語のことを追い続けるのですか


あるとき、人から、あなたはどうして言語のことを追い続けるのですかと尋ねられ、その場ではすぐにはうまく答えられなかったことがあった。しかしその後もそのことはやはり気になり、しばらく考えているうちに、その問いは、あなたは何を学んできたのですかという問いと、ほとんど重なっていることに気づいた。私はこれまで、言語を中心とした本当に狭いことしか学んでこなかったからである。

私の青春は、別の面では、近代とはなにかと問うことからはじまったようにおもわれる。私がそのとき、そのことを 問うことができたのは、中国とフランスという場があったからであった。中国にあっては、私にとっての近代とは、清朝の精緻極まる文字学であった。フランスの近代は、ランボーやヴェルレーヌやラフォルグに代表される象徴詩であった。しかし二つとも私にとっては、言語という大きな壁があった。中国の場合は、文字学・音韻学を含む古代漢語、いわゆる経学の膨大な遺産との格闘があった。フランスの場合は、語学も勿論であったが、根源的に私にとっては、詩そのものがよくわからなかった。たとえばイギリスの詩については、高校時代から少しづつ親しんできていたが、その弱強の韻律の美しさはいくら音読してみても、私には心地よいなどとは感じられなかった。のちにシェイクスピアの戯曲、「ヘンリー4世」の冒頭を読んでいたときに、はじめてイギリスの詩の韻律の美しさを感ずることができた。このときは本当にうれしかった。

それに比して、フランスの詩はその音韻律が開母音の日本の古来からの韻律と近かったために、音数律による詩の美しさは、高校時代にフランス語を学びはじめたときから、実感することができた。しかし韻律と象徴の相関というようなフランスの象徴詩の根幹にいたっては、当然ながら私のレベルをはるかに超えるものであった。これものちに、鈴木信太郎先生の『フランス詩法 上』に接したとき、先生が「後記」で著作の完成に1924年から1950年まで26年を要したことを知り、みずからの無知がかなしいほどにおもわれた。従って私はもう十分にみずからの非学を感じながらも、言語への別の経路を模索する日々が続くこととなった。

私がその中で得た結論は極めて単純なものであった。言語の探究がいずれにしても困難であるなら、言語の本質とはなにかという最も根源となる問いこそが私の学びの中心となるのではないかということが、和光での研究生時代の後半、千野栄一先生の『構造言語学』を受講する中でほとんど確信に近いものとなっていった。ある日講義が終了したあと、私は千野先生とドアの前で話したことを昨日のようにおぼえている。多分研究生の終了が間近となった1985年の秋頃ではなかっただろうか。

先生は私に「今何を考えているのか」と尋ねられた。私はそのころ、Godel およびその盟友であった竹内外史の集合論に依拠しながら、言語、正確には単語の意味の内部構造を集合論をもととした数学で記述したいという、ほとんど夢に近いようなことを考えていたので、それを素直に述べると、先生は本当に怒ったように、「それはWittgenstein のようなものがやることで、私たちがやることではない」と私に話された。そのことが忘れられない。しかし私は、結局その夢を追い続けた。そして現在も多分その位置の延長にいる。先生がおっしゃったように、それはたしかに夢であった。しかしその夢を私に紡いでくださったのも先生であった。

プラハ言語学サークルの存在とカルツェヴスキイの一篇の論文「言語記号の二重性」。先生がそれらを私に提示してくださらなかったら、現在の私は存在しない。


だから、どうして言語のことを追い続けてきたのかと問われると、言語がそこにあったから、と答えるしかない。山がそこにあるように。そんなことを書いて、私は問うた人 Y に, ある日メールで送った。その全文を、References を除き、ほとんどの固有名詞を明瞭に表記して、以下に再掲する。


...................................................................................................................................


Letter to Y.
Of Broad Language
4th Edition

Dear Y.,

1. 言語の定義から言語研究の方向決定へ
1.1私は日本語の「研究」ということばはあまり使わないのですが、ここでは言語について考えることを簡単に言語研究ということばで示しますと、質問は、言語研究の目的 aim と言語研究の応用 application ということになるかと思います。ここで言語とは何か、ということになりますと、一般的には、言語は、人間がその心の状態をかなり精密に伝達する一方法、というようなことになるかと思います。ここでは通常、人間が話し聞くことばが想定されています。いわゆる自然言語 natural language です。しかし私は、みずからの言語研究 research on language において、こうしたいわゆる言語の定義を行っていません。私の研究はもちろん、自然言語を含みますが、もっと広範囲なものです。しかも私の考えでは、言語を自然言語で定義しても、あいまいなものにしかならないと、思います。数学基礎論で超言語などが提唱される所以です。

1.2
私はですから、自らの研究を、言語学とは呼ばず、英語でも linguistics, philology などの用語を用いていません。これらの用語は、自然言語を中心にしているからです。私の場合、もっと広範囲となりますので、ただ、research on language などと書いています。この広い言語、私の用語ではBroad Languageとなりますが、これについては後述します。それで、そうした未定義なままで、混乱などは起こらないかということですが、私の場合、書かれた内容で、私が言う言語の状況が(多分)わかりますので、それ以上の、あいまいな定義は用いないことにしています。用いるのは主に、数学ですから、その公理、定理などによって、築かれている世界が私が示す言語ということになります。数学はギリシャ以来、しばしば5000年の歴史などと書かれますが、長い歴史の中で、洗練されてきた結果を有しています。よく確率や統計の分野で、この結果は1億回検証したから、多分大丈夫だなどと使われますが、それでは1億1回目に検証したしたとき、不具合が出るかどうかは、保証されません。

1.3
数学は絶対的な保証がなければ成り立ちません。それが証明 proof ということになります。しかし「完全な」ということばは普通用いられません。Kruto Godel が「数学に内在する方法を用いて数学の完全性を証明することはできない」という不完全性定理 Incompleteness theorem を1928年に証明してしまっているからです。今では岩波文庫でその翻訳も出ていますが、私もその全容は今もよく理解はしていません。証明も幾種類かで読みましたが。外部から見ると不安のようにも見えますが、数学自身は、別にこうした定理があっても揺るぎません。

1.4
次にたとえば、言語において、私が距離ということばを使うとします。距離ということばそのものを、自然言語で厳密に定義することはかなり難しいでしょう。言語空間などということばも使われたりしますが、空間を定義するのは、自然言語ではやはりかなり困難でしょう。言語の変化などということばもよく使われますが、どこからどこへどのように変化するのか、変化するとしたらその実体はなにか、実体がなければ、その変化ということそのものが無意味になります。またそもそも変化とはなにかなどと考え始めると、もはや収拾が着かなくなります。Wittgenstein の有名な言葉に、「哲学は誤解の歴史だ」というのがありますが、言語の曖昧性の上に、砂上の楼閣のようなものを築いてきたようにも思えます。基本的に言語を言語で定義しようとしても、困難が生じます。委細は省略しますが、特に1970年代以降、数学基礎論の分野で進展があります。2017年夏 に、竹内外史という数学基礎論の日本の Pioneer が死去しました。私も彼から多くを学びました。『数学セミナー』2018年2月号が彼を特集しています。私にはすごくおもしろかったです。しかし私は哲学を否定しているわけではありません。逆に私の根幹は哲学から派生しているとも考えるからです。

1.5
このようなわけで、私は言語の Basic なものを、言語で記述することはしなくなりました。こう言うと簡単ですが、私の場合、ここにたどり着くのに、20代から40代までかかりました。1970年代の終わり、多分1978年の夏休み(教員でしたから)31歳のとき、今も東京にありますが、東京言語研究所の研究応募論文に取り掛かったことがありました。別に賞を得たいとかということではなく、そういうことをきっかけに、自分の課題を確認したかったからです。内容は言語における文とは何か、ということで、現在考えていることの準備段階のようなものを自分なりにまとめようとしたわけです。方法は、数学の集合論と数学基礎論を用いようとしました。結論的には、書き始めるとすぐに自分の中の当時の集積では全く自分が目指すものが書けないことを納得し、この計画は放棄されました。ちなみに欧米では数学基礎論は数学の一部門よりも、論理学の一部門に位置づけられています。私もその方がよいと思います。

1.6
この時中止したのはなぜか。私の言語と数学に関する知見が少なく、能力も低いということは当然ですから、それ以外を挙げます。#1数学の集合論を主に用いようとしたが、当時のその分野の数学の成果だけでは(多分)複雑な言語の状況を処理できない。#2数学基礎論は論理の展開を追うものであって、言語そのものの根源に迫ることは(当時の成果では)できない。#3言語全体は広大で、私の中で言語のどこに焦点を当てて論を進めるのかが、確定していない。などがおもな中止の理由でした。

1.7
私は1979年32歳で大学に戻り、言語学の千野栄一と再会し(初めて会ったのは1969年、ロシア語の先生としてでした)、そこでおもに1920年代のプラハ言語学サークルの状況を詳しく教えてもらいました。その中でも Sergej Karcevskij の存在が圧倒的に私の中に入ってきました。千野が、最晩年の著書『言語学への開かれた扉』の中でただ一人天才と呼んだ彼は、言語の二重性を指摘しました。言語はやわらかく柔軟に外界のものを吸収するが、同時に強固で頑丈な構造を持っているというのです。この矛盾するような二重性の中に、言語の本質があるとしたのです。これは大きく言えば、意味論の一部をなすのですが、この意味という言語において最も重要なものを、当時の研究は、そして今もなお、難しすぎるとして、棚上げし、もっと簡単な音韻等の精緻な構築に向かいました。例えば1950年代以降の、アメリカ構造言語学などがその代表でしょう。それ以降の Chomsky の生成文法も意味はほぼ除外し、文法の構造を中心として探りました。こうした歴史進行の中ではやや一人、突出的であった Edward Sapir から、しかし私は多くを示唆されました。Drift という概念です。彼によって言語と運動、すなわち言語の時間的要素が浮かび上がるのです。これはのちに私の中で Perelman の存在と結びついていきます。結局いつまで経っても、ロシア語は上達しませんでしたが、ロシア語へ愛着は今も深く、昨年久しぶりにロシア語文法の小冊子を読みました。むかし、白水社のクセジュ文庫にあった文法もよかったですが、今回のDover Publications の Brian Kemple の本は簡潔で重要部分は詳細であり素晴らしいものでした。著者はまたP.94で次のように述べているのが印象的でした。"the definitions do not pretend to be complete, or to settle points of interpretation that grammarians have been disputing for the past several hundred years."

1.8
意味は言語の最も重要なものの一つであるにも関わらず、この100年余りの言語学において、常に除外されてきました。第二次世界大戦後、アメリカなどで一般意味論という分野が一時拡がりますが、これは言語が社会の中でどのような役割を果たすかというような、Macro なもので、やがて社会学や人類学の中に吸収されていきます。依然として意味そのものは未開拓の分野でした。私の場合、哲学的なものは、Wittgenstein の鋭い哲学批判(検証)をすでに踏まえていますので、これに Karcevskij が加わることによって、ほぼ準備が整ってきました。すでに対象は漢字および漢字を中心とした中国近代のきわめて厳密な言語学(小学)で進めることを考えていましたので、あとは書記方法としての数学の自分なりの洗練が課題となりました。

1.9
幸いに1980年代ごろから、数学が飛躍的に発展し、幅広い分野に応用される時代がやってきました。岩波書店はほほ30年近くをかけて、数学の叢書を、入門、基礎、発展という順に整備してきました。共立出版も伝統的に叢書を持っていましたので、やはり様々な数学の現代的な成果を出版し続けて、現在も進行中です。私は今、「数学の輝き」シリーズを愛読しています。或る数学者が、対談の中で、「今はやっと数学が様々な分野の問題を記述する蓄積ができましたね」と話していることに象徴されますが、私が1970年代に中止したことを、今度は豊潤な数学の方法を自由に選びながら、自分の問題を表記できるようになりました。ここに哲学-Wittgenstein、対象-王国維などの小学、目的-Karcevskij、方法-Algebraic Geometry 代数幾何学,とすべてがそろいました。1980年代の中ごろです。

1.10   
1986年、大学の研究生を終え、教員をやめ、文庫をつくり、ほぼ言語研究に専念できることとなりました。周囲の理解があったことがもちろん一番大きかったのですが。私の所得は激減しましたが、中国語教授、歴史講座、仏教講座、日本語講師等々で、最低限の所得を確保しながら、現在に至ります。1985年にA 先生から K 大学への講師の話がありましたが、この時、私にとって大学は、限りなく感謝はしていますが、すでに私が進む main の field ではなくなっていました。

1.11
1986年以降、中国文献、仏教文献等を中心に読みながら、Karcevskij の方向を目指しましたが、2002年肺炎で青梅市立総合病院に入院したとき、偶然にも集中的に考えることができましたので、王国維の論文をもとに、言語、私の場合、漢字ですが、その中に内在する時間の問題をまとめたのが、On Time Property Inherent in Characters, 言語に内在する時間という性質について、というものでした。この時期に、Macro な観点から私の言語研究の方向を探ったのが、のちにManuscript of Quantum Theory for Language と題してuploadされたものです。ともに、2003年3月、長野県白馬にスキーに行ったホテルで、皆がスキーをしているときに一人で集中して最後のまとめをしました。懐かしいです。

1.12
話は飛びますが、仏教文献の奥深さを知ったのもこのころです。大正新脩大蔵経・日本仏教全書などで読み進めていましたが、インドにおける仏教終末期の文献は、特におもしろく、例えば、世界の螺旋構造などが紀元4,5世紀ごろまでに明瞭に示されています。DNAなどの現代生物学の状況と対比すると興味深いのですが、安易な類比は避けるべきでしょう。物理学から派生する分子生物学の黎明期に私は深い愛着を持っていますが。日本では最澄・空海を中心に読みました。最澄は読みにくく、空海は読みやすいというのが印象です。私が敬愛する日本文学の近藤忠義先生は旧ソ連の学者から空海の『文鏡秘府論』の送付をお願いされ、約束を果たすのですが、近藤先生ご自身は未読だとエッセイで書いておられました。この本は同時代の類書がなく、唐代の音韻論として高く評価されていますが、現代の音韻論としても読み応えがあります。ただ句読が打たれていないと読みにくいでしょう。今は中国で良い刊本が出ています。私はその一冊を購入し、通読しました。近藤先生への遙かに遠いレポートであったかもしれません。

1.13
無著・世親の仏教論は大正新脩大蔵経で読みましたが、東洋における哲学の高峰として、信仰の有無を超えて、思わず襟を正させるものがあります。今も時間があれば繰り返し読みたいものです。大学に入った時からの、東洋から歩み始めようという私の信念はここに至って一つの実を結んだ気がします。昨年2017年秋、東京国立博物館で、鎌倉時代の彫刻家、運慶のの特別展があり、久しぶりに無著と世親の彫像に再会しました。奈良の興福寺で見たのは、私の30代でした。そこではまた東大寺再建の勧進を行った重源の座像にも再会しました。この像の初見は京都国立博物館で、私が参観したとき、フロアには私以外誰もいませんでした。その時の高僧の座像はいかにも勧進を終えた安らかな老僧でありましたが、昨秋再会したときには、むしろ老師は私よりはるかに若々しい充実した気力を感じさせました。私の老いと年月の流れを感じました。また鎌倉時代の東大寺の学僧、凝然の『三国仏法伝通縁起』を、かつて恩師であった川崎庸之先生から勧められ、友人二人とともに読み合わせしたころがなつかしく思い出されます。私はこうして漢文に親しむことができるようになりました。中国近代の小学については今は省略します。


2.言語研究になぜそこまで魅力があるか、そこからの発展や応用があるのか

2.1
Baseには私の理論好きがあります。高校時代に最も惹かれたのは理論物理学です。私の場合、湯川秀樹の中間子発見の方向ではなく、朝永振一郎の超多時間理論の方でした。その全容はかなり難解ですが、微積分、微分方程式の知識があれば、何とかなります。私はのちに自分なりに整理して、言語の時間性についてまとめたものがあります。王国維とSapirに示唆されています。今考えれば、ですから、理論物理から言語への転換はかなりの必然性があったようにも思われます。この間にDirac という明晰な物理学者の存在に気付いたのは大きな収穫でした。このイギリス人のすばらしさについては先年ノーベル物理学賞を受賞し、亡くなられた南部陽一郎もエッセイの中で書いています。

2.2
この理論好きとともに、私は根源的なものを求める、哲学の方向も好きでした。高校時代には曖昧でしたが、のち1970年代に、私の20代後半、Wittgenstein の翻訳が次々に出て、それらを読む中で、哲学という遺産の根本的な検証を行った彼の方向を考慮する中で、哲学の曖昧性は避けるべきで、別の方向を求めるようになりました。その結果最も有効と思われたのが数学でした。数学は高校時代から好きで、3年のとき、物理の運動についてその解を求めようとしたとき、最も有効なのが微分方程式でしたが、高3の微積分のレベルでは解くことができず、これは大学以降になるなと思ったことが印象的でした。

2.3
20代は教員をしながら、少しずつ数学を勉強していました。このとき神田で、フランスの数学グループ、Bourbaki に出会います。これがその後の私の数学の方向を決定しました。Bourbaki は、その趣旨は誰でも、明瞭で簡潔な出発点から複雑な現代数学の頂点まで行けるというものでしたが、精密な代わりに膨大で、私はその存在を横目で眺めながら、細々と勉強を続けました。

2.4
1.7で述べたように、1986年から2003年までで、Wittgenstein, 王国維、Karcevskij、Algebraic Geometry とそろいましたので、やっと動き始めることができるようになりました。この研究の魅力は、a.まずどんなことをしても完成などないこと、要するに無限であることが最大です。私は有限のものにはあまり興味を持ちません。内容的には、b.言語は人間の大きな用具ですが、精緻であるとともにしばしば誤解をも生む厄介なものでもあります。嘘つきパラドックス Liar's paradox ,または自己言及 self-referenceなどもその一例でしょう。そうした状況は Wittgenstein が精細に述べています。しかも c.言語の意味は、ほぼ100年以上攻めることもあきらめられてきた、難攻不落の孤城です。つまり、無限、精緻, 難攻不落と三つそろえば、未踏峰を目指す登山家とほとんど同じでしょう。誰かが言った、なぜ山に登るのか、そこに山があるからだ、というのは永遠の名言です。

2.5
私の立場は以上のようなものですが、そこから何か現実の社会における発展または応用があるかということについては、ふだんほとんど考えませんが、強いてあげれば現在一つのことが考えられます。それは医学への応用です。別にそこまで私が行なう訳ではありませんが、その理論的な方向だけは数学的に可能だと現在の段階でも思っていますし、そのための準備も応用を主に目指しているわけではありませんが、現在進行中です。私のSite, Geometrization Language の中の右側の Preliminary(準備的)というジャンルがそれです。 Geometrization Language とは「幾何化された言語」というような意味です。

2.6
まず幾何化とは何かを、簡単に示すことが必要でしょう。1980年に Thurston が3次元閉多様体が8種類の幾何構造に分解されるという予想 conjecture を提出しました。1980年代前半に Hamilton がこの予想をある種の方程式として定式化させ、2002年から2003年にかけて Perelman が最終的に解決しました。さらに簡潔にすれば、3次元の図形は8種類に分類でき、その定式化も可能だ、というようなものです。

2.7
ここからは私の推論となります。医学の分野では、今は様々な図像解析 image analysis がなされ、病気の特定や病気の進行段階などを特定するのに用いられています。この解析の判断は、医師の目視に依るわけですが、画像が多様化し、その量も膨大になる中で、現在では統計的処理を施して分類し、いくつかの類型に分けて、細かな判断が行われるところまで来ているようです。もしこの統計的集積を幾何化によって分類することが可能となれば、その図像は数学的に定式化され、定式は自然言語に変換されることとなることによって、図像解析は精密であるとともに正確に共有されうるものとなるでしょう。

2.8
すでに述べていますが、私はそうした応用を目指して、言語研究を行っているわけではありません。2.4 で示したように、私は未踏峰へのあこがれを持ち続ける一人の登山家に過ぎません。高峰のはるか下方に小さな Base Camp を単独で作っただけです。こうした登山家は世界に無数いることでしょう。しかしこうしたすべての比較や逡巡は、碧空に聳える未踏峰を見たときにすべて消えるのです。そこに山があるからです。

2.9
当面の結論を急ぎましょう。2.6, 2.7 等で示した図像などを、私は言語の領域に組み入れて考えています。絵文字Emojiも入り、LATEXも入ります。私はこうした言語の領域を、自分では広い言語、Broad Language と呼んでいます。この中にはエジプトの象形文字 hieroglyph、中国古代の象形文字、すなわち甲骨文 Jaguwenも入ります。しかし私の field は一時期流行した記号論 semiotics ではありません。Semiotics は豊饒な広野だとは思いますが、その方法が明瞭ではありません。今は詳述を控えます。こうして考えてくると、BC1400年以降の古代中国の甲骨文がいかに重要であるかが想像できるでしょう。漢字は古代からの象形を現在まで途絶えることなく発展的に継承してきた現存の文字体系であり、言語の重要な一分野となるものです。私はこの漢字を最初に研究の対象としました。

2.10
私の言語研究の発展も以上で大体見えてくるでしょうか。言語の意味は時間的変化を含めて幾何学的な図形として数学で明確に表記される。しかし私は別にこうした発展などほとんど考えたことはありません。私はただ次のBase Campを築くために、荷物をより少なくして歩き始めるだけです。高いところにのぼるには、荷物は少ない方がいいでしょう。わたしの荷物は、漢字と数学があれば十分です。酸欠を防ぐために、中国の小学と漢訳仏典、段玉裁・王国維・章炳麟や大正新脩大蔵経・日本大蔵経がときに必要でしょう。エネルギーの補填のために、1920年代のLinguistic Circle of Prague が依然として大きなよりどころとなります。未踏峰にどこまで近づくことができるかはわかりませんが。それはもう私が問うものではありません。このエッセイは、記憶を中心に書きましたので、細かい年次などにもしかしたら、記憶違いがあるかもしれません。また質問の答えになっているかどうかも、よくわかりません。その点はどうかお許しください。こんなことを記していましたら、むかし、京都の仏教学の先生がその著書で書かれていたことばを、憶い出しました。先生がチベットで夜、野外で焚火を囲みながら仏教談義をなさったとき、仏教僧らは記憶に基づいて、縷々と経文を声(しょう)するのに、先生は机上で文献をもとに研究しているために、それに素早く応ずることができなかったと述べておられました。それはまた両者の仏教に対する真摯な姿勢を示し、信仰と学問の奥深さに打たれました。どうかお元気でお過ごしください。

Cordially,

5 February 2018
TANAKA Akio 


On immanent time in characters 2003

 

On immanent time in characters 2003

 


 

文字に内在する時間性について


田中章男

 

  言語類型論で孤立語に分類されてきた漢語で使用される文字、すなわち漢字の生成と機能について、考察を試みる。

 漢字の初期の形態については、殷墟等で発見された甲骨文によって確認できるが、通常五期に区分される甲骨文の第1期において、甲骨文はすでに初期的な完成を示しており、漢字自体の原初的な形態を推測することは難しい。甲骨文を組み合わせた語彙および統辞についても、ほぼ初期的な完成を示している。ここで初期的な完成というのは、現代漢語による理解乃至推察が可能なことを意味する。 したがってここで述べる漢字の生成と機能は、甲骨文以降の副次的なものである。個々の甲骨文の字形形成の状況、すなわち解字的説明については、すでに多くの研究が蓄積されている。ここではそれらのうち、主に1990年代以降の業績を援用しながら、考察を進める。

 

一 漢字の生成

 漢字「育」の甲骨文を見ると、この字が、女性による出産時の状況を示していることは疑いえない。この甲骨文において、出産の状況は、3つの要素によって示される。第一に、両腕を胸前で交差させた女性が出産に臨む時の体形である。女性は前傾姿勢をとり、臀部を突き出し、膝をゆるやかに屈折している。第二に出産時に伴う破水の状況が、点線様の記号で示されている。第三に、この破水の中央部分か下部に新生児が頭部を下に向けて示されている。この甲骨文で図示された3要素によって、「育」の字が、女性による、出産時およびその直後の状況を示していることが明示される。

 漢字「言」の甲骨文を見ると、その字形がすでにその一期において、すでに相当程度の簡略化乃至は変形化を受けているために、これまでも解字的説明がさまざまに展開されたが、ここでは、中国考古学の成果を含めた近年の一解釈を示す。漢字「言」の形態は、その上部、中部および下部の三部分として、見ることが可能である。中国考古学の成果によれば、その上部は、殷の時代において、会議等の開催を示す、銅鐸様の鈴の内部につるされた鈴舌であるとされる。漢字「言」の中部は、鈴舌そのものを示す。漢字「言」の下部は、鈴の外部を示すものとされる。殷の時代においては、会議等の開催を知らせるときに、銅鐸様の鈴を打ち鳴らして関係者に知らせ、その会議の開催時には、その鈴をテーブルの上に逆さに置いたとされる。すなわち、形態的には鈴の本体が下に、鈴舌の部分が上になって置かれたとされる。これが「言」の字の甲骨文の字形となったとする。この解字によれば、「言」の甲骨文は、鈴による会議開催告示後の状況を示すものとすることができる。会議はことばによってなされる。したがって、逆さの鈴の象形化が、「言」の甲骨文となった。

 漢字「亘」の甲骨文を見ると、二本の水平な線の中に弓形の文様が示される。王国維は、つとにこの甲骨文を漢字「恒」と同定した。今はこの見解に従う。上下の二本は川の両岸であり、中央の弓形はその両岸を往来する舟とする。この解字によれば、「亘」あるいは「恒」は、同一の空間に恒常的に繰り返される渡船作業を示している。

 三つの漢字「育」「言」「亘」の甲骨文から、以下のことが帰納乃至推測される。

 第一に、漢字の祖形である甲骨文は、時間的経過を内在させることがある。すなわち、「育」においては、出産の開始から終了までであり、「言」おいては、会議の告示から開催中までであり、「亘」においては、渡船作業の継続である。

 第二に、漢字の祖形である甲骨文は、内在する時間的経過の途上でおこるさまざまな事象の一局面が複数にわたって図像化乃至暗示されることがある。すなわち、「育」のおいては、母体、破水、新生児であり、「言」においては、倒置された鈴がその前時間に継起した会議の告示の振鈴と、その後の会議開始によるテーブル等への安置を暗示する。「亘」においては、両岸と渡船の存在が渡船作業を示す。

 第三に、漢字の祖形である甲骨文は、事象の複数の局面を内在させることによって、複数の情報を伝達することがある。「育」においては、母体による出産、出産途上の状況、新生児の誕生等の情報が、一字によって同時に伝達される。「言」においては、会議の告示、会議の開始、会議で話し合われた内容等の情報が伝達され、「亘」においては、渡船作業、対岸への到達、作業の繰り返し、すなわち恒常性等の情報が伝達される。

 したがって以上のような漢字生成に関する帰納乃至推測から、次のような漢字の機能が導かれる。

 

二 漢字の機能

第一に、個々の漢字に内在する時間的局面は、その局面のもっとも特徴的な情報を伝達しようとする傾向が強い。「育」の字においては、出産時の状況は、母体の出産動作そのものがもっとも特徴的であるが、出産後は新生児の存在が特徴的となる。漢字一字が持つ文法的機能の多様さは、こうした甲骨文に内在する、時間性の幅とその特徴的事象の内容に起因する。

「育」においては、出産時の局面では、いわゆる「うむ」という動詞的局面が強調されるが、出産後は「新生児」といういわゆる名詞的局面が強調される。「言」においては、会議前には「告げ知らせる」局面が強調されるが、会議開催中および開催後は、多分に会議での「発言内容」の局面が強調されるであろう。「告げ知らせる」局面が、多分に動詞的であり、「発言内容」の局面では、多分に名詞的機能が優先されるであろう。

 第二は、二字以上の漢字が組み合わされたとき、個々の漢字は、自らに内在する、時間の枠組から、どれかひとつの時間的局面を特に強調して、他の漢字と関係を結ぼうとする。二局面以上を伝達しようとすることは、伝達の明瞭性を傷つけるからである。「育」の字について見るならば、「育女」では「女児を生む」ことであり、「育嬰」では「すでに生まれている子どもをそだてる」ことである。「育女」では「育」の字は、より多く「母体からの出産状況」にかかわり、「育嬰」ではより多く「すでに誕生した新生児」の情報にかかわるであろう。

 第三は、個々の漢字に内在する時間的局面はしばしば複数性を持つが、漢字を組み合わせるときにはその個々の漢字の局面選択の択一性が働くことによって、互いに優先された局面同士によって二つ以上の漢字が、ひとつのより複合的な局面を形成して、その複合局面の情報伝達の明瞭性を保持することができる。たとえば「恒言」という2字の組み合わせにおいては、「恒」は「恒常性」の局面を選択し、「言」は「発言する」という局面を選択する。

 それでは、個々の漢字が局面選択を行うとき、どのような漢字内の機能が働くのであろうか。また、優先された局面同士が提携するとき、どのような機能が漢字の外部に向かって提示されるのであろうか。

 

三 漢字機能の自己選択性

 二つ以上の漢字が組み合わされ、新たな複合的な一局面が形成される状況を、「恒言」について検討する。ところが、「言恒」という組み合わせにおいては、新たな一局面は形成されず、漢字それぞれが有する一局面が二つ連続すると見るのが一般である。このような違いはどうして起こるのであろうか。私はここにも、漢字に内在する時間性がかかわると判断する。

 漢字に内在する時間には比較的短時間のものから、長時間に及ぶものまで多様である。二つの時間が連続するとき、前の漢字の時間性が長時間であり、後ろの漢字が短時間であるとき、この二つの漢字は緊密に結びつき、新たな複合的一局面を形成しやすいが、この逆の場合、すなわち前字が短時間で、後字が長時間であるときは、この二つの漢字は新たな複合的局面を形成しにくく、それぞれの局面が独立的に連続する傾向を持つ。

 「恒言」において、「恒」は「永続的な長時間」を内在させるのに対し、「言」は一過的な短時間を内在させる。このように、長時間内在型の漢字と後続する短時間内在型の漢字は、新たな複合局面を形成するが、短時間型の漢字と後続する長時間型の漢字は複合局面を形成しにくい。したがって、「恒言」は一つの語となり、「言恒」は二つの語で一つの文となる。

 すなわち類型論で孤立語の属するとされる漢語においては、一切の語形変化的な現象を有しないために、しばしば、その文法的な構造、漢語においては特に語と語の切れ目とその文法的な機能が問題となってきたが、漢字に内在する時間性およびその組み合わせ時における局面選択性によって、新たな複合局面が形成されたか、個別局面の連続かが区別されるとするならば、漢語における語彙形成と統語構造に展望がひらけるものとなる。

 漢字に内在する自己選択性とは、後続する漢字に内在する時間が、自らの時間より短時間の場合は複合しようとし、自らの時間より長時間の場合は複合しないか、複合しにくい。

 時間性の長短については、その漢字、 特に甲骨文における準初期形態が示す抽象性、具象性、統合性、個別性等のクラス分けが検証される必要がある。したがって、漢字に内在する時間性の自己選択性は、一つの仮説である。

 

四 漢字に内在する意味

 一般に言語における語の認定、あるいは語の意味は、その重要さにもかかわらず、困難さが指摘されてきた。漢字一字を語と認定するかどうかはしばらく置くとしても、ここで漢字一字ずつに内在する意味をある程度、分析的に検討することは、特に甲骨文にさかのぼることによって、可能な面が開けてくる。甲骨文においては、設文解字と比定できるものについては、その解明が進んだが、殷代のみに出てくる固有名詞的なものについては、今後も解明に困難が伴うことと思われる。しかし、甲骨文を言語記号として、その記号の内容とその記号が示す時間とを点検することによって、現在通行する漢字との比定を超えたレベルで、文字に内在する文法的機能を分析する途が開かれるであろう。そのときもっとも有力な方法の一つが、時間性原理であると思われる。

                              20033月28日 白馬にて